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IDマガジン第54号 (2014/10/5発行)


[054-03]【ブックレビュー】ドナルド・ショーン 著 佐藤 学・秋田 喜代美 訳(2001) 「専門家の知恵 反省的実践家は行為しながら考える」ゆみる出版

専門家という言葉を聞いて、皆さんはどんなイメージが浮かびますか?
頭の中には知識という名の引出しが無数にあり、様々な技術を使って、困ったことをすぐに解決してくれる人たち、私はつい、そんなイメージを描いてしまいます。

今回、専門家とは「行為の中の省察にもとづく反省的実践家である」と提唱したドナルド・ショーンの著書「The Reflective Practitioner: How Professionals Think in Action Basic Books」の一部を翻訳した書籍をご紹介します。3部10章で編成された原著のうち、本書では、原著の理論の中核が提示された第1部 第2章と結論が提示された第3部 第10章の前半が訳されています。本書では、従来、専門家を説明するモデルとして使われていた「技術的合理性」の限界や、行為の中の省察の具体的な事例、また「反省的実践家」とはどうあるべきなのかという部分が示されていますが、著者が原著で何を伝えたかったのかを捉えようとすると、原著の一部を訳した本文からだけではなかなか難しいように感じます。そこで本書は、訳者による序文や解説のなかで、原著が書かれた歴史的背景や著者の功績、「反省的実践家」を提示することで著者が実現したかったことは何かを丁寧に補足、解説することで、本文を理解するための大きな手助けをしています。

訳者序文では、始めに「専門家、専門職」の語源、成り立ちについて書かれています。「専門職(profession)」という言葉は、その語源において「神の宣託(profess)」を受けたものとされています。宣託とは「神のお告げ」という意味であり、神の仕事を代行する者として、まずは牧師、大学教授、医者、弁護士などが専門職と位置づけられ、近代以降、教師、建築家、経営コンサルタント、カウンセラー、福祉士などへ拡大していきます。そして、「神の宣託」は近代社会において「実証的な科学と技術」に置き換えられ、呪術が科学と技術に変換されることで近代の専門職像がつくられていくことになります。

近代の専門家の活動は、「技術的合理性」という考えにもとづき、科学的な理論と技術を厳密に適用し、道具的な問題解決をするものとして説明されています。また「技術的合理性」モデルは、多くの専門職養成課程での教育に影響を与え、理論・研究と実践が分割されるきっかけになったといわれています。本書では、医学教育カリキュラムの例(pp.33)を挙げて分かりやすく説明されているので、詳しくはこちらをお読みいただけたらと思います。

やがて、現実社会の抱える複雑性、不確実性、不安定さ、独自性、価値葛藤のなかで、専門職は「技術的合理性」モデルでいう理論や技術を道具的に当てはめる方法ではさまざまな限界を感じるようになります。「技術的合理性」モデルが捉える問題とは、既に「問題」として表出している状態を指しますが、現実社会では「問題」が表出していない、または「問題」そのものが変化するという状況が頻繁に起こります。そこでは、単に科学的な理論や技術の当てはめでは対応できず、「技術的合理性」モデルではカバーされていない「問題を設定する能力」が求められることになるのです。

そこで登場したのが、著者が提唱する「反省的実践家」の概念です。「反省的実践家」は、(患者、指導学生、カウンセラーに相談する人など包括的な意味での)クライアントが抱える複雑で複合的な問題に「状況との対話」にもとづいて「行為の中の省察」を行うことを中心に据えたことが大きな特徴です。

では「行為のなかの省察」とは何か、本書では様々な事例を挙げることで説明を試みていますが、そのなかにこのような記述があります。

「このことを認識した時、私はどの特徴に気づいたのだろうか?私がこの判断をする基準は何だったのだろうか?私がこの技能を行う時に、どんな手順で実際にやっているのだろうか?私が解こうとしている問題に対し、私はどのような枠組を与えているのだろうか?」。(pp.77~78)

行為の中で省察する時、その人は実践の文脈における研究者となる。すでに確定した理論や技術のカテゴリーに頼るのではなく、独自の事例についての新たな理論を構成している。(pp.119)

これらは「行為の中の省察」の中身を示した例ですが、理論・研究と実践を分離するもととなった「技術的合理性」モデルに対する批判とも受け取れます。その一方で、「行為の中の省察」に傾倒し、熟達した者が、自分たちの方法について知っていることを言葉にできず、自分たちの思考の特性や厳密性を正統化して述べることができないことへもどかしさを感じていることにも触れ、「行為の中の省察」の研究は極めて重要だと述べています。

また本書では、専門家とクライアントの関係が変化しつつあることについても書かれています。伝統的な専門家とクライアントの関係では、クライアントは専門家の権威を承認し、専門家の世話に服従するのに対し、反省的実践家である専門家とクライアントの間では「反省的な契約」が結ばれ、クライアントは実践家の権威を承認することに同意するのではなく、専門家の権威への不信を留保すると説明しています。クライアントは、自分が援助を求めている状況を探求することに実践家と共に加わることを同意し、時には実践家と対立することにさえ同意をするのです。

ここで大変興味深いのが、反省的実践家である専門家は、援助を求めているクライアントに対して、依存ではなく、協調の関係を求めていることです。

本書は、「反省的な契約」においてクライアントに求められる能力と得られる満足を、以下のように示しています。
・私は専門家とともに自分の事例を知ることに加わり、それによって、ますます積極的に参加し行為する感覚を獲得する。
・私は状況をある程度統制しようと試みる。私は完全に専門家に依存してはいない。専門家も、私だけが請け負うことのできる情報や行為に依拠している。
・私は専門家の能力に関する自分の判断を検証できることを喜んでいる。私は、専門家の知識、専門家の実践の現象、さらには自分自身について発見する興奮を楽しんでいる。

そして専門家は、通常、熟達者としての役割を期待されているのに対し、「反省的な契約」においては、自身の不確実性をも露にすることを期待されるのです。

もしかすると、冒頭で述べた私が専門家に対して抱くイメージは、クライアントとしての私が無意識にもっている、「依存」や「服従」から作られたものかもしれません。しかし、著者もまた、「反省的な契約」は非常に困難で時間のかかることだと述べています。

医者と患者の関係、教師と生徒の関係を思い浮かべるとき、皆さんは「反省的な契約」を結んだ彼らの姿をどこまでイメージすることができるでしょうか。もし、多くの人がその姿をイメージできるようになったとき、真の意味で専門家像が変わるのかもしれません。

(熊本大学大学院 教授システム学専攻 博士後期課程 石田百合子)


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