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[078-02]【連載】ヒゲ講師のID活動日誌(74):限界的練習の5原則~質の高い学習機会を提供するという責務~

ひげ講師は2019年3月21-22日、札幌市にある吉田学園医療歯科専門学校にいた。設立以来、11年にわたって医療職にIDの考え方を普及啓蒙する役目を担ってきた日本医療教授システム学会の総会・学術集会に参加するためであった。学会2日目に依頼された教育講演のお題は「学習が苦手な学習者へのアプローチ」。教育担当者って学習が苦手な人のために存在するもので、苦手じゃない人はできるだけ邪魔しないのが良い。余計なお世話にならない程度に関与していくぐらいが介入の適量。そんな兼ねてからの思いを察してか、それともそういう学生が多くなって困った状況から発想したテーマだったのか、いずれにせよドンピシャなお題だと思った。

冒頭で紹介したのは他でもない、J・B・キャロルの学校学習の時間モデル。学習の度合いは必要な時間(分母)に対してどの程度の時間を実際に費やしたか(分子)の割合で決まる。「学習が苦手な学習者へのアプローチ」の基本は、分子を増やすことと分母を減らすことで学習率を高めることに尽きる。『放送利用からの授業デザイナー入門』の第1章で説明した内容を(書いてあることにもかかわらず)お話しした。以前は、何かとこの時間モデルを紹介する機会が多かったが、与えられたお題に答えるためという名目で久しぶりに話すことができた。教育担当者のみならず、学習者自身にも救いとなるこのモデル、できるだけ多くの人に知ってもらいたいし、心の支えにしてもらいたい、と改めて思った。

学習に必要な時間を減らす工夫として重要なのは、質の高い学習機会を提供すること。だらだら時間だけを費やすのではなく、短時間でパッパとやるべきことをやる。そのために提案されてきたのがIDモデル・理論であり、近年の脳科学では、従前からのIDモデル・理論の主張を裏付ける研究成果が増えている。例えば、米国心臓協会(AHA)は、これまで取り組んできた心肺蘇生術の訓練が最善のものとは言えないと断言し、心停止後生存率の低下改善に結びついていない現状を分析した報告書を発表した。その中で、IDの要素として着目すべき観点は①完全習得学習と集中的練習(deliberate practice)、②フィードバックとデブリーフィング、③反復練習(spaced practice)、④革新的な教育方略、⑤文脈学習、そして⑥評価(アセスメント)の6つであるとし、心肺蘇生訓練法の見直しを呼び掛けている。質の高い学習機会が提供されれば、学習が苦手な人にとって「学習に必要な時間」を減らす可能性が高くなる。最新の研究成果を取り入れて常に研修のデザインを再点検し、より質が高い学習機会を提供するべきだ、というAHAの姿勢は立派ですね、と紹介した。

AHAが最初に掲げたIDの要素は、①完全習得学習と集中的練習。キャロルの時間モデルが完全習得学習の理論的根拠になったことを考えると、やはりこれが基本中の基本だと捉えられていることにも合点がいく。それでは集中的練習とは何か。フロリダ州立大学の心理学教授エリクソンが各領域のエキスパートを対象に研究した結果として打ち出した概念(原語はdeliberate practice)。つまり、最も有効な練習法は、音楽、スポーツ、チェス、タクシー運転手、医師など、分野を問わず同じ原理に基づいており、その要素は次の5つであるという主張。deliberate practiceは直訳すると熟慮された練習となるが、訳本では「限界的練習」という日本語訳が充てられている(ちなみにAHAの訳語「集中的練習」は③反復練習(間をおいて複数回練習すること)ではなく一気にやるのが良いと誤解されかねないので注意が必要)。

「限界的練習」の5つの要素(エリクソン)
1.はっきりと定義された具体的な目標がある。ただ何となく繰り返すだけ(単なる1万時間)ではダメ。
2.集中して行う。集中力が切れたら中断する。集中した練習を長期間繰り返す。
3.フィードバックが不可欠。自分のどの部分がどう未熟なのかを正確に特定するため。コーチ、自分自身から。
4.コンフォートゾーンから飛び出すことが必要。プレッシャーをかけ続け、脳をムキムキに変化させる。
5.心的イメージ(mental representation)を磨きあげ、全体を瞬時に把握する地図をもつ。

どの要素も従前からIDで主張されてきたものばかりであるが、それがエキスパート調査と脳科学的な裏付けをもつようになったので、説得力がとても高くなった。とりわけ、「脳をムキムキに変化させる」という表現は、ロンドンのタクシー運転手の難関試験に合格したエキスパートは、脳の該当部位である海馬後部の大きさが限界的練習によって物理的に変化したという研究成果を受けたもの。筋肉を鍛えるとムキムキすることと同じように、脳も成長していく様子を客観的に観測した研究に依拠している。

すごい時代になったものだ、と改めて感じた。
学習が苦手な学習者のために何ができるか、それを考え続ける人になりたい、と改めて思った。

(ひげ講師記す)

参考文献:
エリクソン・プール(2016)『超一流になるのは才能か努力か?』文芸春秋
松本尚浩・鈴木克明(2019) 蘇生科学教育AHA提言を応用するために(資料論文). 医療職の能力開発 6(2): 83-99.


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